「去るも残るも地獄」財政破綻の夕張市、残った職員の闘い 給与カットで手取り15万円、元部下の市長と「仲間の無念を晴らす」
普段はがらがらの市議会傍聴席は、市民であふれかえっていた。様子を見にいった北海道夕張市職員の寺江和俊さん(64)=当時44歳=は異様な空気に気おされ、市役所フロアの自席へ戻った。

議会を中継するテレビに同僚がかじりついていた。登壇した市長が宣言した。「自力での財政再建は困難と判断し、法の下での再建に取り組むことを決意した」。2006年6月20日。かつて炭鉱で栄えた市は財政破綻を表明した。主な原因は、観光産業への過剰投資だった。

不安で仕事が手につかない。「夕張はこれからどうなってしまうのか。役所組織も無事ではいられないだろう」
程なくして、平職員から市民課長に「抜擢(ばってき)」され、財政再建の最前線に放り込まれた。
故郷再生へ、闘う行政マン
「炭鉱から観光」は、初めの頃は順調だった。閉鎖した坑道を歩ける博物館で炭鉱の歴史を体感し、隣の遊園地でジェットコースターに絶叫を上げる。「学ぶ・遊ぶ」のコンセプトは大当たりし、人けが消えて久しかった炭鉱跡地は、大勢の観光客でにぎわった。

国内有数の産炭地・北海道夕張市で生まれ育った寺江和俊さん(64)が市の職員となったのは1984年。市の外れに「石炭の歴史村」と名付けられたテーマパークが完成した翌年だった。
国のエネルギー政策は60年代に石炭から石油へと転換し、すでに炭鉱の多くは閉鎖されていた。沈んだ街をもり立てようと市が目を付けたのが観光開発だった。市役所から続く観光バスの渋滞を見て確信した。「夕張はまた息を吹き返す」
「ロボット大科学館」「郷愁の丘ミュージアム」……。その後もハコモノが次々とできた。だが、観光客は90年代初頭をピークに減っていく。観光路線を主導した市長は処方箋を示さないまま2003年に引退し、半年後に亡くなった。

「大規模な合理化案を出す時がくる」。後任市長の就任後、少し前まで職員労働組合の執行委員長だった寺江さんは市幹部に耳打ちされた。
10年ほど前のことを思い出した。予算書をめくっていた時、金融機関などからの「一時借入金」の限度額がどんどん引き上げられているのに気づいた。決算書には観光施設を運営する第3セクターの債務を市が保証するとの記載もあった。「観光がこけたら市もこける」。胸騒ぎがした。

市が巨額の負債を抱えて立ちゆかなくなっている――。地元紙の北海道新聞がスクープしたのは、耳打ちから数か月後のことだ。懸念は現実のものとなった。
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